夜明けのクレソン畑
カモの見回りや収穫で早朝からクレソン畑に行く今日この頃です。
朝の気温も下がってきて、朝焼けの景色もきれいですよー
イノシシが大きい(;’∀’)
作業場の前の箱罠にイノシシが掛かっていました。
これまでで過去最大クラスの大きさのイノシシでした。
100㎏越えてるんじゃないかという巨大なオスのイノシシ。
こんなのが付近をうろついていたと思うと怖いですね。
車でぶつかってもイノシシに車が負けてしまいそうなくらい強そうです。
イノシシ拡大の歴史
箱罠を設置してくれている猟友会の方によると、
ここ数週間イノシシがたくさん掛かっているそうです。
七花ファームのある金峰山のあたりの山々では年間400頭以上捕獲されているんですが、
今年は増えているのかな?
イノシシが増えている理由を調べてみましたが、
エネルギー革命が起きてからイノシシは拡大傾向にあるそうです。
引用します。
明治に入るとイノシシは全国的に減少し,その分布は西日本を中心とした地域に限られた(高橋 2006)。
引用元:第 54 回 獣医疫学会学術集会 シンポジウム“家畜と野生動物 : 防疫対策の境界―豚コレラ発生で考える野生動物の疫学―”イノシシの生態から考える豚コレラ防疫”
この原因としては,人間による過度な国土利用が上げられる。日本における森林の荒廃は明治中期に最も進んでいた(太田 2012)と考えられており,それはイノシシの生息適地が縮小したことを意味している。この分布域縮小は明治以後 100 年ほど続き,日本での農業普及以降,初めて本種
による農作物被害が局所的問題となった(小寺 2015)。
しかし,太平洋戦争後にその様相が劇的に変化した。1960 年代の燃料革命によって森林の過度な利用が止まり,全国的に植生が回復し始めたのである。その結果,各地で休息・避難場所および食糧資源がイノシシに提供される様になった。また,燃料革命以降,日本の農業の生産性は飛躍的に上昇した。特に水稲は 1970 年には国内自給率 100%に達し,減反政策が開始された。これにより耕作放棄地は全国的に増加し,そこでも休息・避難場所,食糧,そして水資源がイノシシに提供された。こうして好適な生息環境
下で生活する状況となったイノシシは,その強い繁殖能力を存分に発揮し,1970 年代以降に急激に分布域を回復させた(小寺 2015)。
もうこの辺りの山も荒れ果てていて、
竹が増えて荒れた山林ばかりになっているのでイノシシも増え続けているのでしょうね。
11月から1月くらいまではタケノコもとれなくなってイノシシが人里に出没しやすくなるので
気をつけなければ!
まとめ
エネルギー革命と減反政策によってイノシシが増えている!
以上がイノシシが増えている根本的な利用だそうです。
野山を歩き回っているのに、あんなに筋肉が付くんだ!
とカルチャーショックを受けたヒロアキでした。
穀物がなくても意外と太るものなんですね。
とにかくイノシシと遭遇しないように気をつけましょう。