米俵は持てない、米袋なら持てる

気になっていたこと

稲穂です

今年の稲刈りも、もう目前です。

残り少なくなった自家消費用のお米を精米して、

30㎏の米袋に入れてアパートに運んできました。

ウチの部屋は2階なんですが、30㎏抱えて登るとちょっと重いですね^_^;

毎回米の袋を抱えるたびに、むかし日本史の教科書で見たある写真が脳裏をよぎるんですよね。

日本史の教科書でもお馴染み、力持ちのご婦人方

それがこちらの写真。米俵を何袋も担いでいる女性です。

ご存じとは思いますが、普通の紙の米袋って30キロの重さがあるんです。米俵だと重さは倍の60㎏。

ほんとかよー(´・ω・`)

見た感じ5俵担いでいるから、300㎏もってることになるんだよなー

ということで、ネットサーフィンで調べてみました。

実際どうだったの?

調べた中で、一番オフィシャルっぽい情報を引用します。

質問

山形県庄内地方の「5俵かつぎ」について、昭和の初めごろの雑誌において、実際に女丁持ちをしていてこの5俵担ぎを行って写真撮影された女性がインタビューに答えており、「撮影のために行っただけで、普段はやらない。上からどんどん積まれて一歩も動けなかった」と答えていたという話を聞いたのですが、出典がわかりません。なんらか探し出す方法はないでしょうか。

回答

ご照会文にある、女丁持ちのインタビュー記事と同内容と思われる記事が、下記新聞(資料1「山形新聞マイクロフィルム 昭和59年9月」)に掲載されています。

発行は昭和59年9月で、お尋ねにある「昭和の初めごろの雑誌」ではありませんが、紙名及び記事の概略等を下記にお知らせします。

<紙名及び掲載箇所>

山形新聞 昭和59年9月29日(土曜日) 朝刊 10面 庄内版

<見出し>

しょうない散策  山居倉庫と女仲仕 米5俵を担ぐ? 観光写真、実は3俵」  

<記事の概略>

米5俵を担いでいる2人の女性の写真とともに、昭和8年から8年間、山居倉庫で女仲仕であったという女性のインタビュー記事が掲載されています。

写真については、「山居倉庫に飾っているモノクロ写真の一コマ」とあり、

インタビューに答えているのは、「阿部ナヲ江さん(70才)」とあり、記事中にその女性が次のように話している箇所があります。

「実は二俵はもみがらが入っていたんです」

「あくまでも観光用の写真撮影だったんです」

「当時、女では酒田一の高給をもらっていた」等々

そのほか、記事では、当時、40人の「女仲仕」と呼ばれる女性たちが、倉庫前の舟着場から蔵の中まで、急な坂を行ったり来たりして、1日一人平均千俵のノルマをこなしていた旨等とともに、力試しとして一瞬だけ5俵を担いだ「兵藤みやえさん(現在78才)」や写真のモデルとなった2人の女性は健在でいる旨等が記載されています。  

 

当該写真は、資料2「ふるさとの歴史 荘内藩の米札から 山居倉庫米券への移り変り」中にも、「女丁持ち」として掲載されています。

引用元:レファレンス事例詳細(Detail of reference example) 山形県庄内地方の「5俵かつぎ」について

山形県立図書館へのレファレンスへの回答より引用です。

「5俵じゃないよ、3俵しか持ってないよ」

って今の我々からすると十分超人的なことをしてますよね。

昭和25年(1950年)の20歳女性の平均身長150.8㎝・平均体重50.7㎏(引用:日本人の平均身長・平均体重の推移)なので、

この写真の女性を体重50㎏と仮定すると、180㎏持ち上げれるって、自分の体重の3.6倍の物を持てるって凄いですね(; ・`д・´)

僕は自分の体重の半分が限度かな…(´・ω・`) 腰痛めちゃうし…

荷下ろしを一日千俵しろって言われたら、死んじゃうかな(´・ω・`)

まとめ

今日のブログを機会に、むかしから疑問に思っていた写真の情報を調べることができました。

明治・大正時代にタイムスリップしたら生きていく自信がなくなりました。

むかしの人はすごいですね。

もうすぐ稲刈りですが、コンバインからトラックに直接うつせるから稲刈りも楽になってますよね。

ゆかりさんとコンバインと軽トラの図