田原坂に寄り道

配達の合間に少し寄り道

今週末、縁あって荒尾のディーラーさんにて七花ファームの野菜を販売しておりました。

荒尾方面に来る機会が最近少ないので、

返品回収がてら天気も良いので寄り道してきました。

実は行ったことのない”田原坂”。

ちょっと覗いてきたので、今日は田原坂を紹介です。

はじめてきました田原坂

Vlogで現場からリポートしてみました。

行ってみると、車2台がギリギリすれ違えるほどの狭い道でした。

田原坂の詳細は現地にある解説文をご覧ください。

引用します。

  田原坂崇烈碑

 この田原坂の地は両側が壁のように立ち、小さな路が険しいところです。薩軍はみな精鋭の兵で、しかも堅固な陣地を築き、そこからオオカミやトラが吠えて襲うように出撃しました。攻めるのにむずかしく、守るのに優しい地形の要地に官軍も苦戦を強いられました。こうして激戦昼夜を問わず十七日に及び、ついに薩軍を撃退されました。

死傷者四千余人、西南の役中に数百の激戦がありましたが、しかしいまだに田原坂のような激戦はほかにありませんでした。もしもこの坂を抜くことが出来ないで、薩摩が南関を破り北方に進出したならば、直ちに政府に不満を持った者たちが必ず隙をみて立ち上がり、禍いは計り知れなかったでしょう。しかしそんな状態に至らず、すみやかに撃破することが出来たのは、実に田原坂の勝利によります。

引用元:田原坂崇烈碑 植木町教育委員会

田原坂で撮った写真です。

日本史選択でした。西南戦争の好きなエピソードは、

会津の仇を肥後で討つ

意外と調べるとこのエピソードがでてきませんでしたが、見つけました。

当時、攻める官軍は徴兵制で主体は平民だったそうです。

対する薩軍は元お侍主体。

銃を渡されたとは言え、刀を持って突っ込んでくる薩摩軍になかなか勝てない状況が続いたとのこと。

その膠着状態を打ち破ったのが警視庁抜刀隊。

会津の仇!と言って戦ったというエピソードはよく覚えています。

  会津の仇

旧会津藩士の隊員が、戊辰戦争で賊軍の汚名を着せられた雪辱を果たすべく「戊辰の仇、戊辰の仇」と叫びながら斬り込んでいったといわれている。これは、当時郵便報知新聞記者であった犬養毅によって報道された。

『戦地直報』第二回

十四日、田原坂の役、我進んで賊の堡(とりで)に迫り、殆ど之を抜かんとするに当り、残兵十三人固守して退かず、其時故(もと)会津藩某(巡査隊の中)身を挺して奮闘し、直に賊十三人を斬る。其闘ふ時大声呼(よばわ)って曰く、戊辰の復讐、戊辰の復讐と。是は少々小説家言の様なれども、決して虚説に非ず。此会人は少々手負いしと言う。

引用元:wikipedia 抜刀隊

所説あり!

のエピソードのようですが、強烈に心に残っております。

まとめ

というわけで、今日は西南戦争で有名な田原坂を尋ねたお話しでした。

近くにお寄りの際はのぞいて見るとおもしろいですよ。